2013年は飛躍の年にしなければならない。ここに決意を表する。
-学問と実務の架け橋を目指して-
2012年12月30日日曜日
2012年10月15日月曜日
【映】幸せへのキセキ (米)’11
人生は冒険だ。マット・デイモン演じるベンジャミン・ミーは、それを胸に動物園のオーナーとなる。冒険にはリスクがつきもの。動物園の運営には多額の資金が必要であり、また、動物園を開園できるかも不透明であった。しかし、ベンジャミンは家族の幸せが先にあると信じ、周囲の制止をふりきって進んだ。
学生と社会人の間にいる私は、人生に“冒険”を感じている。リスクを採ってでも、幸せがあると信じる道に進みたい。
この話の冒険はうまくいき過ぎているように感じたが、“冒険”を大事にしているベンジャミンに共感した。
2012年10月1日月曜日
【評】 マクロを感じる
ロンドンオリンピックが閉幕し1ヶ月半以上が経った。もう日本を包んだ熱気は冷めてしまったが、メダリスト達の銀座パレードの盛り上がりを見れば、どんなに盛り上がったかがわかる。パレードには50万人の人が集まり、1日で経済効果は80億円(関西大学、宮本教授調べ)だったらしい。オリンピックが開催されたイギリスでの盛り上がりはどうだったか。1つの指標として経済効果で見てみよう。大手銀ロイズ・バンキング・グループ調べによるとオリンピックにより、2005年から2017年の12年間で165億ポンド(約2兆円)の経済効果があるそうだ。
「経済効果○○億円」はニュースでよく聞くフレーズだ。オリンピックでの盛り上がりの指標として、経済効果を示してきたが、みなさんはピンときただろうか。「すごそうだな」くらいしか思わなかったのではなかろうか。これは実感が伴わないためだ。経済効果というものはマクロな数字であり、集計されたものだからだ。個人レベルで見ると、必然的に小さくなる。また、個人への還元に偏りがあるかどうかが重要となる。100億円の経済効果があったとして、一部の人だけに還元されればその他大勢にとって意味がないものとなる。しかし、社会は、個人が相互関連しあっているので、経済効果を偏りだけで無意味とするのは適当ではない。
平均すれば経済効果は個人にプラスに働く。例え実感がなくとも、経済効果を無視することはできない。集計レベルの数値を感じられないことにより、ときに弊害を生じさせることがある。東京オリンピック誘致の際、メリットに経済効果を説明しても無視されることがある。原発の再稼動をしないことで、毎日85億円の国富が流出しても、実感がないために説得力が低くなってしまう。もちろん、東京オリンピックや原発再稼動の問題は、その他の要素もたくさんあるので、これだけで賛成・反対を決めるべきではないが、経済効果の重要性に対して、国民を納得させる力が見劣りしているように感じる。マクロを感じることは難しいが、軽視せず大事な要素として考えるべきである。
2012年9月7日金曜日
【政】 政局 ~自民党の迷走~
自民党がおかしい。民主党への支持率が落ち込み、政権奪回を目の前にしているというのに、戦略がうまくいっていない。解散総選挙に追い込むのが、戦略の目標になるが、今国会中に実現しない。このようにうまくいっていないのは、消費税に関する3党合意がネックになっている。
民主、自民、公明で消費税に関する3党合意を結んでから、自民党は民主党を追い込みにくくなっている。自民党内で消費税増税の必要性はコンセンサスを得ているので、増税と反増税のような完全な対立軸を民主党との間に作ることはできない。消費税法案を参院で難なく通すことになってしまう。野田首相―谷垣総裁の会談で、野田首相から「近いうち」に解散することを引き出しただけで谷垣総裁は落ち着いてしまった。てっきり2人の間では、具体的な解散時期について話し合われたのかと思ったのだが、問責を出す結果になっていることから見て、本当に「近いうち」だったらしい。これで納得したのは谷垣総裁の性格なのか。ただ、3党合意が谷垣総裁を束縛しているのは違いない。しかし、この停滞感と自民党内部からの圧力に耐え切れず、参院で首相に対する問責に賛成した。この問責の提出理由は「国民の生活が第一」などが作成したものであり、自民党が賛成することには大変問題がある。以下提出理由の原文。
野田内閣が強行して押し通した消費税率引き上げ関連法は、2009年の総選挙での民主党政権公約に違反するものである。
国民の多くは今も消費増税法に反対しており、今国会で消費増税法を成立させるべきではないとの声は圧倒的多数となっていた。
最近の国会運営では民主党・自由民主党・公明党の3党のみで協議をし、合意をすれば一気呵成(かせい)に法案を成立させるということが多数見受けられ、議会制民主主義が守られていない。
参議院で審議を行うなか、社会保障部分や消費税の使い道などで3党合意は曖昧なものであることが明らかになった。
国民への約束、国民の声に背く政治姿勢をとり続ける野田佳彦内閣総理大臣の責任は極めて重大である。
よってここに、野田佳彦内閣総理大臣の問責決議案を提出する。
明らかに3党合意を批判しているこの問責決議に賛成した自民党は、自己矛盾に陥った。矛盾を起こしてまでも野田首相への問責に決議させたが、これでは自民党へ国民の不信が募るだけだ。3党合意に拘束された自民党は、3党合意を自分で批判し、政局を優先させるも評判は悪くなる一方だ。
今、自民党総裁選が盛り上がっている。谷垣総裁は早々脱落する一方、他の立候補者が乱立模様。自民党が一連の矛盾した政局を行なっていても、近づいてくる政権奪回に、ベテラン議員は元気になってきた。
2012年9月6日木曜日
【映】 ニュー・シネマ・パラダイス(伊)’89
私の実家は大阪だ。大学1年のときに上京した。それから3年が経った。僕も変わった。それは成長なのかどうかはわからないが、上京が僕を変わらせた一因だと思う。「地元を離れたら成長できる」「もっと大きな世界へ旅立ちなさい」上京前、今いる共同体から離れれば成長できるというような話をよく聞いた。その理由に曖昧さを感じていた。でも、なにか説得力は感じた。アルフレードは、サルヴァトーレに「若いのだから外に出て道を探せ、村にいてはいけない、そして帰ってきてはいけない」「人生はお前が観た映画とは違う。人生はもっと困難なものだ。村を出ろ。ローマに戻れ。もうお前とは話したくない。お前の噂を聞きたい」と言った。サルヴァトーレは村を出て、映画で成功した。
これからも、僕は外の世界へ挑戦していきたい。そして、よい「噂」を地元に届けたい。4年前の自分では、感じることが出来なかったこの気持ち。これが成長なのかな。将来この映画をもう一度見よう。そのとき、また新しい気持ちを感じたい。サルヴァトーレの人生に乗せて、私の人生を思った。
2012年8月27日月曜日
【ス】アップルとサムスン電子の訴訟合戦
24日、米カリフォルニア州連邦地裁で、韓国サムスン電子に対し、スマートフォン(高機能携帯電話=スマホ)の一部特許侵害があったとして、米アップルに10億5千万ドル(約830億円)の支払いを命じる評決があった。アップルの訴えはほぼ全面認められたのに対し、アップルがサムスンの特許を侵害しているとするサムスンの訴えは退けられ、アップルの完勝となった。
アップルとサムスン電子間の訴訟は、世界各地で起こっている。ドイツでは、アップルの訴えが認められたが、オーストラリアではサムスンの訴えが認められた。日本でも裁判中である。
サムスン電子は、スマホの基本ソフト(OS)に米グーグルのアンドロイドが採用されているため、アップル対グーグルの代理戦争としても注目されている。アップルは、グーグルの傘下にあるモトローラ・モビリティやアンドロイド携帯を開発している台湾HTCなどにも訴えを起こしている。
スマホの商品サイクルは早いため、特許侵害が認定されても影響は小さいとみられる。両者の利益を考えれば、賠償額が経営に影響することもほとんどない。ただ、ブランド力に対する影響は必至だ。サムスン電子は、アップルと並ぶ企業という印象を消費者に与えることはできているが、消費大国アメリカでの敗北は、ブランド力低下の懸念が大きい。今回の評決に対し、サムスン電子は控訴するとみられている。
2012年8月23日木曜日
【評】感情的反原発
毎週金曜日、反原発デモが官邸前で行なわれている。その代表者数名と、23日、野田首相は会談した。この会談は有意義なものには成り得ない。もちろん、この会談はただのポーズで、何か両者間で進展することが期待されていたわけではないのだが、日に日に高まっている(らしい)反原発デモからは全く冷静な論理を持った主張が見られず、感情論から脱せられていないため、反原発の主張はただの一人よがりなものとなっているからだ。原発=悪=何も考えず即刻廃棄、では一時の感情論でしかない。
感情論はやがて冷める。反原発を主張するならば、熱が冷めても残る論理を準備しておかなければならない。関西の夏、北海道の冬、厳しい気候で停電が起きるリスクも考えずに、また経済的損失を一切考えずに、再稼動反対と叫んでもしょうがない。短期・中期・長期の視点のもと、冷静な主張をしなければ、一時の戯言で終わる。
【訃報】 山本美香さん
20日、シリア北部アレッポで、国際ジャーナリストの山本美香さんが銃撃を受けて亡くなった。昨年、私は大学で、山本さんの講義を受けた。フリーの立場で紛争地域に出向く山本さんのジャーナリズムに感銘を受けた。ただ何よりも印象的だったのが、職業とは裏腹に、言葉や仕草に人間的な優しさを持っていたことだ。このような方が紛争地域に向かうことに、甚だ違和感を覚えたくらいだ。生徒全員の感想に返信を返すようなまじめさと、人間的な優しさを合わせ持った山本さんが撮った、紛争地域の子どもや女性たちに、山本さんのジャーナリズムが映っているように思う。
2012年8月22日水曜日
【評】原発再稼動の是非はリスクとともに
今年の夏は、電力需給の逼迫が懸念されていた。特に、関西電力は原子力発電への依存度が高かったために、厳しい需給予測がされていた。よって、大飯原子力発電所の再稼働へとつながった。
今年は猛暑日が続いているが、今のところ全国の電力に余裕がある。関西地域を始め全国で、計画停電も行なわれていない。このような中で、大飯原発の再稼働は不要だったとの論が見受けられるようになった。このような結果論は、リスクの視点が抜け落ちている。
関西地域では7月27日に、最も電力が逼迫した。その日の供給は3003万kw、ピークの需要は2650万kwであった。大飯3・4号機の出力は240万kwなので、3003-240=2763万kwが原発なしでも供給でき、需要を上回っているので再稼働は不要だったとの主張がある。これは間違っている。原発の電力で揚水を行なっているので、その分も差し引くと供給電力は2542万kwとなる。これは、需要を明らかに下回っている。すると、他の電力会社からの融通で足りるという主張がでる。そのときに、他の電力会社が十分融通できたかも怪しいが、結果的に足りていたなどという主張は、リスクを考えていない。
もし停電になっていればどうなったか。自家発電を持たない小さな病院では死者がでていたのではないか。高齢者はこの猛暑の中、耐えられただろうか。経済活動への打撃も十分にある。また、再稼働をしなかった時点で、さらに厳しい需給予測がされ、企業が関西から流れたり企業活動を縮小したりして、経済的損失を生んでいただろう。このようなリスクを想定せず、ただ結果だけで論を張ることはできない。今回の結果は、これからの予測や指針に活かすことはできたとしても、実際に原発なしでは需要が供給を上回る事態が起きているため、再稼働をした判断への反論にはなりえない。しっかりリスクと向き合ったうえで、原発再稼働を考えなければならない。
2012年7月18日水曜日
【評】 「文化」という根拠
日本は調査捕鯨を行なっている。それに対し、国際的な環境団体「グリーンピース」や「シーシェパード」が異を唱えている。彼らの反対活動が、暴力的に行なわれ、ニュースでたびたび取り扱われる。国際捕鯨委員会(IWC)では、捕鯨に関するルールを設定するため、議論が行われる。捕鯨を全面的に禁止すべきという意見と、それに反対する意見で対立する。この記事では、捕鯨賛成・反対の意見についての評論はしない。今回問いたいのは、捕鯨の議論でよく目にする「文化」についてだ。意見を主張するとき、「文化」を根拠にすることには、論点が含まれている。
文化は大切にすべきものだ。これに異論はないし、その通りだ。ただ、文化だけを根拠に意見を主張することはできない。「鯨を食べるのは文化だから、捕鯨禁止なんてできない。」これだけが捕鯨賛成の理由であるなら、これは理由にならない。もし、文化だけを根拠に、人を説得できるのであれば、なにに対しても「それは文化だから」と、言えばすむことになる。それが文化かどうかを定めることは難しいし、文化なんて大事ではないとは言えないので、誰も反論できなくなる。文化は、魔法の盾となる。
根拠に文化を使うことは避けるべきだ。捕鯨賛成の根拠を、文化以外に求めなければならない。反対派の根拠の信憑性を問うなど、捕鯨正当化を見出す糸口は他にもあるだろう。文化を魔法の盾のごとく使っても、それには意味が無い。
哲学者カール・ポパーは、反証可能性という概念を提唱し、科学とは何かを示した。反証されえない理論は科学ではないのだ。もし捕鯨の正当性が「文化」によって説明されたら、反証可能性はなくなる。反証可能性のないものは科学ではなく宗教だ。確かに、社会では宗教を根拠にすることもありうるし、実際にそのようなときが多い。しかし、そのときは宗教という次元で話していることになる。
2012年7月12日木曜日
【評】CD売上枚数の性格
テレビやラジオの音楽番組で、CD売上ランキングをよく紹介している。アーティストが初めてオリコン1位になったり、連続1位記録を更新したりすれば、朝の番組で報道される。100万枚売れば、テレビ・雑誌で見ない日はなくなる・・・。CD売上枚数に関する情報は私達の周りにあふれている。そして、私たちは、CDの売上枚数をアーティストの人気バロメーターとして捉えている。
近年、CD業界は縮小し続けている。日本レコード協会によると、CD市場は、全盛期の1998年には6074億円だったのが、2011年には2818億円と半分以下になった。13年連続で、前年を割っている。なぜならば、消費者がCDを買う必要がなくなったからである。CDを買わなくても、レンタルする、もしくはネットでダウンロードすれば音楽を聞くことができる。どちらもCDより安価なので、それらを選ぶインセンティブは強くなる。さらに、違法ダウンロードも横行している。無料でネットから音楽を手に入れることができる。
安価に、もしくは(違法だが)無料で手に入れられる音楽を、消費者がCDとして買うには、金額の差額分を埋める付加価値が必要となる。今のCD業界を見ていると、この差額を埋めることができている価値は2つある。1つ目は、消費者のCDに対する所有価値だ。好きなアーティストのCDは、部屋に置いておきたいものだ。2つ目は、CDに付く特典の付加価値だ。握手会やライブのチケット応募券などが付属されている。
消費者は、レンタルやダウンロードすることに慣れてきており、所有価値のためCDを買うハードルが高くなってきている。所有価値でCDを買う人は少なくなり続けているのだ。それに対して、特典で高めた付加価値によって、売上を上昇させることには、アイドルが出すCDを筆頭に、成功するようになっている。
すると、売上ランキング上位に入るアーティストの性格が変わってくる。特典で価値を高めたCDが、上位に入りやすくなる。また、CD購入層から流れ出た、レンタルやダウンロードでの楽曲購入は無視される。CD売上枚数は、楽曲の人気のバロメーターとしての性格は薄くなる。
CD売上ランキングを、人気指標として捉えるのは正しくない。ランキングを見て、最近世間が受け入れる音楽は低レベルだ、という人がいる。これは違う。正しく人気を示すランキングではないからだ。世間の鏡になっていないのだ。人気のバロメーターとして、CD売上枚数を使う時代はもう終わったのだ。
近年、CD業界は縮小し続けている。日本レコード協会によると、CD市場は、全盛期の1998年には6074億円だったのが、2011年には2818億円と半分以下になった。13年連続で、前年を割っている。なぜならば、消費者がCDを買う必要がなくなったからである。CDを買わなくても、レンタルする、もしくはネットでダウンロードすれば音楽を聞くことができる。どちらもCDより安価なので、それらを選ぶインセンティブは強くなる。さらに、違法ダウンロードも横行している。無料でネットから音楽を手に入れることができる。
安価に、もしくは(違法だが)無料で手に入れられる音楽を、消費者がCDとして買うには、金額の差額分を埋める付加価値が必要となる。今のCD業界を見ていると、この差額を埋めることができている価値は2つある。1つ目は、消費者のCDに対する所有価値だ。好きなアーティストのCDは、部屋に置いておきたいものだ。2つ目は、CDに付く特典の付加価値だ。握手会やライブのチケット応募券などが付属されている。
消費者は、レンタルやダウンロードすることに慣れてきており、所有価値のためCDを買うハードルが高くなってきている。所有価値でCDを買う人は少なくなり続けているのだ。それに対して、特典で高めた付加価値によって、売上を上昇させることには、アイドルが出すCDを筆頭に、成功するようになっている。
すると、売上ランキング上位に入るアーティストの性格が変わってくる。特典で価値を高めたCDが、上位に入りやすくなる。また、CD購入層から流れ出た、レンタルやダウンロードでの楽曲購入は無視される。CD売上枚数は、楽曲の人気のバロメーターとしての性格は薄くなる。
CD売上ランキングを、人気指標として捉えるのは正しくない。ランキングを見て、最近世間が受け入れる音楽は低レベルだ、という人がいる。これは違う。正しく人気を示すランキングではないからだ。世間の鏡になっていないのだ。人気のバロメーターとして、CD売上枚数を使う時代はもう終わったのだ。
2012年7月5日木曜日
【評】レバ刺しと大麻
食品衛生法の規格基準が改正され、7月からレバ刺しの提供が禁止された。違反すれば、2年以下の懲役か200万円以下の罰金が科される。
昨年、富山県の焼肉店でユッケを食べた5人の客が、食中毒にかかり死亡した。それを契機に、厚労省は食品衛生法の見直しについて議論を活発化させてきた。平成10年から、幼児や老人に対して生食を控えるように、各自治体に通知を出すなどの注意喚起を行なってきたものの、生食に対する管理の有効性について疑問符がついたのである。
しかし、今回、提供が禁止されるのはレバ刺しであり、ユッケではない。生食ではあるのだが、レバ刺しでの死亡事故の記録は残っていない。もちろん、レバ刺しを禁止にするのがおかしいということではない。死亡事故を起こるのを未然に防ぐという観点からの改正だからだ。ただ、犯罪とは何かを考えるきっかけとなった。
今まで犯罪でなかったことが、法改正の日を境に突然犯罪になる。法によって犯罪が作られる。今回も法改正により、レバ刺しを提供することが犯罪と化した。このような犯罪を作り出す法改正の議論は、日頃から盛んに行なわれている。最近、脱法ハーブの売買についての報道が多くされているが、これも新しい犯罪を作るべきだという議論だ。
法改正には、レバ刺しや脱法ハーブの件のように犯罪を作り出すことだけではなく、今まで犯罪だったことを改めることも考えられる。例えば、大麻吸引。世間はこの行為を犯罪として認知している。しかし、大麻は、たばこより毒性・依存性が低いことを示す論文が複数発表されている。たばこが合法であるならば、大麻が違法なのはおかしいと主張する人がいる。その主張に賛同するわけではないが、犯罪は絶対的なものではないことを知らされる。
法は絶対正しいものではない。よって、法に定められている犯罪も絶対的なものではない。このことを常に頭にいれながら、法律を見つめ続けることは重要である。
2012年7月1日日曜日
【評】個人レベルと集計レベル
私は大学のゼミで、有権者の投票行動についての研究をしている。投票行動は何によって規定されているのかを、実証によって発見するのだが、あくまでも研究対象の単位は有権者だ。いわゆる、個人レベル(Individual-level)データのサーベイリサーチとなる。個々の有権者が起こす行動にスポットライトを当てる。
それに対して、集計レベル(aggregate-level)での調査もある。例えば、都道府県ごとにデータを集計して投票行動を考えるとすると、集計レベルでの研究となる。私は、他大学との合同ゼミで、集計レベルでの調査をプレゼンしたことがあったのだが、他大学の教授から「集計レベルでの調査を行ったところで何の意味があるのか」と噛みつかれたことがあった。集計レベルで結果が出てもそれには意味がなく、また、その結果は個人レベルでの結果には関係がないので、個人レベルの調査をすべきだ、ということだ。
集計レベルの調査によって、個人レベルの解釈をすることはできない。これは1950年に社会学者のW.S.Robinsonが生態学的誤謬(Ecological
fallacy)という概念により説明している。(内容を知りたい方は各自調べてください。)
ただ、集計レベルの結果が全く意味が無いというのには当時納得がいかなかった。感覚的には集計レベルの調査が無意味とは思えないのだ。まだそれを論証するまでには至らないが、1983年に政治学者G.Kramerがindividualistic fallacy を提示し、個人レベルでの問題を指摘していることからも、集計レベルにも意義がありそうだ。
個人レベルでの研究と集計レベルでの研究。この2大潮流の論争は絶えない。ただ言えることは、社会科学を学ぶ学生はこの問題と対峙すべきだ。この個人レベル、集計レベルの概念を知り、自分なりの考えを持つことは学生にとって不可欠なことだろう。
2012年6月26日火曜日
【ス】改正著作権法
20日、改正著作権法が参院で可決され、成立した。違法にアップロードされたものと知りながら、音楽や動画をダウンロードする行為に、2年以下の懲役または200万円以下の罰金が科される。著作権者などの被害者が告訴しない限り起訴できない親告罪となる。これまで、違法配信をアップロードすることには罰則があったが、ダウンロードすることには罰則はなかった。音楽業界は罰則化を求めていた。
ただ、この法改正に反対の声も聞こえる。違法配信かどうか利用者にとってわかりづらいことが多く、捜査当局の恣意的な捜査を招きかねない。また、抽象的な条文となっており、規制する対象が恣意的に拡大されるおそれもある。Youtubeやニコニコ動画では動画を一時ファイルとして保存しながら再生する「プログレッシブダウンロード」という方式が採られており、条文の解釈によっては規制対象になりうる。文化庁はYoutubeなどでの違法動画再生は問題ないという見解を示しているが、捜査当局がそれに拘束される訳ではない。
政府は当初、改正案について違法ダウンロードの罰則化を念頭においてなかったが、自民・公明両党が修正を提案し、盛りこまれた。
2012年6月23日土曜日
【評】原発議論での2分化より
福島の原発事故を契機に、日本で原発のあり方について議論が活発になった。あのような事故が起きたのだから自然の流れだろう。ただ、メディアがこの議論を取り扱うとき原発容認と反原発に単純2分化してしまっている。これは議論に誤解を生むゆゆしき問題だ。
メディアは議論をよく2分化する。原発容認と反原発。消費税増税賛成と反対。2分化した方が、視聴者にはわかりやすいからだ。しかし、2分化することは、視聴者に誤解を生むことが多い。だいたいは正しい区分ではないのだ。原発容認といっても、原発を増やすべきと考える人もいれば、現状維持を支持している人もいる。原発反対の人といっても、すぐに止めるべきと考えているかもしれないし、長期的に止めていくべきと考えている人かもしれない。もしかしたら長期的になくすべきと考えている人は、原発容認に入っているかもしれない。2分化しても、それぞれ多様なのだ。この多様性を排除して報道するために視聴者に誤解を与えかねない。
さらにメディアが単純に2分化することで、それを受けて、視聴者は議論する者を正と悪に2分化してしまう可能性を孕む。正しくない2分化によって、議論する者は正・悪のレッテルを貼られる。2分化以外の多様性の意識がうすれ、2分化を基本に視聴者は思考してしまう。これは議論を正しく理解できない。さらに、2分化を基本に議論が行なわれるようになれば最悪だ。
2分化の問題は、メディアのあらゆる場面で見受けられる。メディアはその姿勢を改め、視聴者は、そのような報道に踊らされないようにしなければならない。
【評】ソーシャルゲーム業界の分岐点
「ソーシャルゲームの業界って勢いあるよね。」「あの任天堂がソーシャルゲームに押されているね。」こんな会話を聞いたことがあった。ソーシャルゲームとは、他のユーザーとつながりながらプレイするオンラインゲームだ。日本では、GREEとDeNA代表的な企業である。確かに、最近、GREEのCMがよく流れるようになったし、去年プロ野球球団の横浜ベイスターズをDeNAが買い取っており、勢いがある業界なのだなとは感じていた。しかし、実際肌で感じる感覚は違っていた。周辺でソーシャルゲームをしている人に全く出会わなかったからだ。若者向けが中心の顧客であるはずなのに、大学生である私の周りで見かけない。ただ私が属している共同体が特異なだけなのかと思っていたが、「コンプガチャ問題」の報道を見て、私の感覚が的外れでなかったことを確信した。
ガチャとは、料金を支払うとアイテムを手に入れられるガチャガチャを模したものだ。アイテムをコンプリートしたら貴重なアイテムを手に入れることができる。しかし、ガチャでどのアイテムを手に入れられるかはわからない。よって、ユーザーは多額なお金をつぎ込んでしまいやすい。このシステムが消費者の射幸心を煽っているとして、問題となったのがコンプガチャ問題だ。
一連の報道で、ソーシャルゲーム業界は、一部のユーザーから多額な料金を得ていることがわかった。そして、月に万単位の料金を支払うユーザーによって成長を遂げていることがわかった。就活生向けの説明会で某大手ソーシャルゲーム会社が、一部のユーザーを相手にしていると明言していることからも、そのことが察せられる。
ソーシャルゲーム業界は、このような一部の消費者に依存したビジネスモデルの構築ではなく、もっと消費者の幅を拡大させる努力をすべきだ。一部を相手にすると、射幸心を煽るようなシステムに陥ってしまう。今回明らかになった問題と真摯に向き合い、ソーシャルゲーム業界の新たな出発にしてほしい。そして、社会に受け入れられたときには、持続性がある「勢い」を手に入れることができるだろう。
2012年6月20日水曜日
【評】決められない政治への道
昨年、最高裁は09年衆院選挙に対して違憲状態との判決を出した。それにも関わらず衆院選挙制度改革は一向に進まない。確かに、各党にとって大変重要な問題であるために、熟議が必要となり、時間はかかるだろう。しかし、より一層この議論を進まなくする事情が他にある。それは逆転国会だ。この状態である限り、民主党は力強く改革を先導することができない。野党との合意なくして、法案は通らないからだ。
もちろん、逆転国会であっても、与野党間での議論により、法案を通すことはできる。むしろ、これが国会の望むべき姿なのかもしれない。ところが、選挙制度のように各党の利益が一致しづらい問題になるとたちまち決められない政治に陥る。
民主党は18日、衆院選挙制度改革の関連法案を単独で提出した。自公との合意は得られなかった。ただ、公明党に配慮し、連用制が盛り込まれている。連用制は中小政党に有利に働く性格を有する。この法案の制度を、09年の衆院選挙で想定してみると、公明党など中小政党の議席が急伸し、2大政党制は影をひそめ少数乱立の状態となる。
もし、現実に少数乱立状態になったら、日本の政治はどうなるのだろうか。各党が建設的な議論を行なうことができるだろうか。今の日本の政治を見ていると、私には不安がよぎる。選挙制度のような難題ではない問題でさえも、決められない政治になってしまうのではなかろうか。
【ス】衆院選挙制度改革
昨年、最高裁判所は09年の衆議院選挙について違憲状態だという判決を下した。有権者の一番少ない高知3区の1票に対し、全国一多い千葉4区は約0.4票分しかなかった。1票の重みに格差が生じ、憲法第14条「法の下の平等」に反する状態にあるとの判断だ。
これを受け、国は衆院選挙制度改革に取り組むことを一層迫られた。しかし、判決から1年以上経っても進展は見られなかった。選挙制度は、各党の勢力に直接影響をもたらす問題であるため、民自公の3党でさえも合意できる案が作れなかった。
そんな中、民主党は18日、衆院選挙制度改革の関連法案を単独で提出した。単独での提出に踏み切ったのは、消費増税法案可決を前に、痛みを伴った改革への姿勢を国民に見せたかったからだ。
ただ、「連用制」が盛り込まれたこの法案に自民党は反対し、公明党は一定の評価はしているものの態度を保留中。可決されるかはまだ不透明だ。
2012年6月19日火曜日
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