-学問と実務の架け橋を目指して-

2013年4月6日土曜日

【評】英語教育改革


 新学習指導要領により、今年から高校で行われる英語の授業は「英語で行うことを基本とする」ことになる。従来の授業は、日本語を基本としていたため、生徒の文法や読解の能力は向上できるが、リスニングやスピーキングの力は伸ばしづらかった。英語を基本とすることで、日本でよく揶揄される「受験英語」を打破しようとの試みである。
 日本人が英語を苦手とする理由は、英語教育で解釈されやすいが、ではさらになぜこのような教育がまかり通っていたのかを考える。これには大きく2つの要因があるように思える。
 1つ目は、日本の場合、英語が使えなくてもある程度、学問ができてしまうからである。先人たちの業績により、欧米で発達した学問を輸入し、多くが日本語に翻訳されている。専門用語も作られ、日本語で学問を語ることができる。よって、日本語だけで大学を卒業できてしまう。そして、そのことは、大学が入試に英語のリスニングやスピーキング科目を導入するインセンティブを小さくしている。
 2つ目は、日本には、多くの大企業があり、わざわざ外国の企業に就職しなくても豊かな生活を送れるからである。例えば、韓国では、近年、世界的に見ても大規模な企業が出現してきているが、日本と比べればまだ数が少ない。サムスン系列に就職出来ればよいが、パイが少ない。すると、外国企業に就職することも視野に入れ、英語の勉学に励むだろう。
 しかし、最近は日本の企業もグローバリゼーションの波に入り、英語の必要性が叫ばれるようになった。このことが、日本の教育改革にもつながっている。ただ、高校英語の改革についていえば、当該新学習指導要領だけでは、効果的な改革が行われるか甚だ疑問である。早くも「英語を基本」とする指針を守らないだろうという声が、高校教師から発せられている。
では、高校教育で実践的な英語教育がなされるためにはどうしたらよいか。高校の授業を受ける生徒は、大学入試を目指して勉強しているため、大学入試に実践的な英語の科目を導入することが一番効果的な改革となるのではないか。これは国というよりも、大学の役割である。今の社会が必要とするものに大学は答えなければならない。
国からの指針だけでは限界がある。教育内容を変更するだけでは十分ではない。改革をするときに、対象とする本人(生徒)の目的を鑑みないと、制度も機能しないし、効果的な改革は行えない。

2013年4月5日金曜日

【評】「期待」の効果



昨日の金融政策決定会合で、大規模な量的・質的金融緩和の導入が決定された。政策目標を政策金利からベースマネーに転換し、それを2年間で倍増させる。ベースマネーは、過去13年間で2倍になっていることを考えると、2年で2倍は、急激な伸びだということがわかる。また、国債買入に加え、ETFJ-REITのリスク資産も買い増す。中長期の借入金利を引き下げ、設備投資を促すことを意図している。
白川方明前総裁の時代は、マネーサプライを増やしても投資や消費に結びつかないとして、量的緩和政策に対して慎重な姿勢であった。黒田東彦総裁が、その方針を転換した。しかし、狭義の量的緩和もリスク資産購入も、効果があることの実証結果が乏しく、疑問を呈す人は多い。ただ、今回はなにかよくわからないが「期待」があるようである。このことは今までとは違う点かもしれない。実体経済の動きは未だ芳しくないにも関わらず、「期待」が株価を押し上げている。
人は「期待」で動くのだろうか。実体経済へ効果が波及するのだろうか。日本において、壮大な「実験」が始まった。経済停滞で苦しむ世界各国からも注目されているようである。未だにこの政策効果に関する説得的な学説が存在しないこと、またベースマネーがすでに高水準であることからすると、何も起こらず、ただ副作用だけ残るという不安もあるし、大規模な政策ゆえに、バブル到来の不安もよぎる。「実験」なだけに、一見、相対する2つの不安がつきまとう。

【雑談】歌舞伎とメディア



 建て替えた歌舞伎座のこけら落としがあったようで、メディアはこぞってそのことを報道している。でも、歌舞伎ってそんなにみなさんに身近なものなのでしょうか。興味の対象なのでしょうか。なにか、メディアと視聴者との乖離が見られるような気がするなーと。
 とか言いながら、いつかは見に行ってみたいなと思っちゃったり。ん?メディア報道のせいかな。
 ということを、たまたま新生歌舞伎座の前を通り過ぎながら思った。